会員の声

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会員の声1                                     

 ある時、友人から80歳の日本人のご婦人を紹介されました。その方は私が知り合って間もなく、身体的にも精神的にも援助が必要となり、近くに住んでいた私は話し相手になったり、日本食を運んだり,いっしょに医者に行ったりするようになりました。

 

両親が「老後」というふうな言葉が当てはまる時期を送ることなく亡くなっていた私には、それが現実的な「老後」体験の始まりでした。

 

私は以前、語学教師として仕事をしていた頃、「人は年をとると、幼い頃に身につけた言葉に戻っていく。特に成人になって習った外国語は弱くなっていく」ということを、言語研究の報告書でたびたび読んでいましたが、言葉と文化の違いが、高齢になると思いがけなく重要な意味合いを持ってくるという事を、そのご婦人とのおつきあいの中でも何度も痛感しました。

 

言葉が全くできなくなるというところまでは行かなくても、ニュアンスや感情を込めた微妙な表現が難しくなって予期しない誤解や不安が生じたり、いざという時に必要になってみると医療や法律の専門用語や硬い文章が読めなくなっていたり…。加えて、今まで見向きもしなかった日本食が無性に恋しくなったり、それまで日本人嫌いで通していたのが、とにかく日本語を話す人、日本人に会うことを切に願い、そのことしか口にしなくなる…。

 

そのご婦人と私は世代も考え方も全く違い、日本人であるという以外にほとんど共通点もないようなものでしたが、「放っておけない」姿でした。

 

それから老後に関しての情報を集めるようになり、様々な試行錯誤を経て DeJaK-友の会に参加している今、そういう状況を少しは変える事ができるかもしれない、という気がしています。

 

会員の声2

 私はドイツに来るまで10年間、日本で犬と猫の里親探しと、ネグレクトを受けている動物のレスキューをしていました。自分さえ良ければいい、自分に都合が悪いことは見なかったことにする、『善い行い』ですら人の目を気にし、警察に通報することさえもためらう、というようなことも、残念ながら度々目にしました。

現代日本のネガティブな面がとても気になるようになって、日本にいることが辛くなっていたので、結婚相手が偶然ドイツ人で、ドイツに来てもあまり寂しいとは思わず、とても幸せです。貧しくとも楽しい我が家、素朴で平和な日々に感謝する毎日です。

 

ですが、もし主人が突然死んでしまったら...。私はまだドイツ語もロクに話せません。主人の身内ともドイツ語で会話ができないのです。

 

このまま幸せにドイツで暮らせたとしても、20年後には私も60歳です。自分や家族が認知症になる可能性もあります。

 

日本で生活している人ですら、「認知症」を患ったら家族の大問題です。それが、ドイツでもし認知症になってしまったら...。幼いころの記憶はあっても、10分前のことは思い出せないのです。お母さんのおにぎりの味が懐かしくても、ドイツ人の配偶者にそれを理解してもらい、用意してもらうことは恐らく容易ではないでしょう。いくら日本での悲しい現実、自分の辛かった思い出を否定していても私は日本人です。

 

たまたま、渡独する直前の仕事が「ホームヘルパー2級養成講座」の講師の台本作りでした。ドイツで暮らす日本の老人の現実を会員の方から伺った際、台本作りのために少し勉強した「認知症の方への対応」が生かせるのではないかと思いました。

 

ドイツでは動物は殺処分されないので、私が焦ってボランティアをする必要はありません。でもドイツに来てから、人はひとりでは生きていないこと、周囲の方に助けられているという実感が心底、しみじみと感じられるようになりました。会で私がその目的を達するための一助になることができたら、私のドイツでの暮らしも更に充実することでしょう。そして私がこちらに来て他の人から受けた援助や励ましを少しはお返し出来るのではと思います。

 

 

会員の声3

総領事館での晩餐会

627日のデュッセルドルフ総領事公邸での晩餐会にはベルリンから2名が招待状をいただいて出席した。雨あがりの Duesseldorfer Str. は両側に緑が延々と続き、時間のプレッシャーのない田舎道といった風情だった。

 

のどかさに目眩ましをくらったような感じでうっかり通り過ぎ、戻ってはまた通り過ぎ、どうしてこれが見えなかったのか不思議なほどあきらかに建っている公邸に到着したときは既に殆どの招待客たちが水辺の緑に野鴨が点々と佇む庭を臨んで飲み物を手に談笑していた。

 

私がDeJaK‐友の会のことを知ったのはこの晩餐会のたった1ヶ月前。大使館訪問のためにベルリンに来ていた渡辺・Roegner 代表と西野・Friedewald 理事にタイミングよくお会いできたのがきっかけだ。ベルリンに限らず各州、各地区で個人間の助け合いは行われているが、邦人がドイツ国内の高齢者施設で日本の文化背景を配慮した介護を受けることを可能にするための活動、また、ドイツで高齢者介護を受ける際に必要な情報をドイツ全国を対象に発信するというDeJaKの趣旨は新しかった。おそらくドイツで老いる私には今すぐにでも欲しいシステムであり、情報だ。迷うことなく入会。

 

小井沼紀芳総領事は挨拶の言葉のなかで、DeJaK‐友の会の趣旨が全国的な規模であることから大使館に相談するよう御自身が理事たちに勧めたこと、そして、昨年は地震や津波の被害に対処することと、日独交流150年の行事に追われて,公館も邦人の高齢化についての対応が思うようにできなかったが、理事たちの大使館訪問後の展開として、大使館をはじめ各地の公館は今後この問題に積極的に取り組むつもりであり、DeJaK‐友の会の活動も何らかのかたちで支援したいと思っていることを述べられた。

 

ドイツ政府も積極的な姿勢を示している異なる文化背景を配慮した高齢者介護というテーマ “Kultursensible Pflege”。帰りの車のなかで理事のひとり ドイツ人の Nowaschewski 氏が介護関係者から「よりによってなぜドイツ在住外国人としては少人数集団の日本人の支援を?」と聞かれることがあるとのこと。

それはもちろん“Weil wir es wollen!....

 

異なった文化を持つ私自身が、それ(kulturesensible Pflege) を望む事、それが会の大事な第一のステップで,そこから彼のような協力者が集まって来て、今度はそれを自分の課題として考えてくれるようになったのだ、と思った。